2007年05月19日
OB会
今日は同じ職場で退職された方のOB会があるし、明日もテニスはできそうにない。
ストレスが溜まりそうだ。
で朝近くのコートで壁打ちしてからOB会に出かけた。
私はまだ現役ですが、現役のほうが幹事が務まりやすいとうので55歳以上の現役も入っています。
1年1回の集まりですが幹事として今年が2回目。
返信はがきに(1年1回の)この集まりを楽しみにしています書かれていますと幹事役としても嬉しいものです。
でも○○行を様に改めていない人や、出席しないのに苦情が書いてある人のを見ると女房が人柄がこれでわかるわねといいます。
まあ辞めても現役でもいろんな人がいるから仕方ないじゃないと夫婦の会話です。
ことしは会社の近くのお寿司屋で開きました。
北は千葉、南は岡山からも、60数名のうち20名の方が来てくださいました。皆さんお元気そうでなによりでした。
機械設計部門にいた人たちで20歳から36年間いる職場ですから皆さんの顔だけはわかります。
お年は60から80前で、リタイア後は趣味とかボランティア活動とかそれぞれの生活を送っておられるようです。
当然、年も年ですからつれあいが亡くなった(初めての経験ですと冗談をいわれました。そりゃそうだろう)とか、親が亡くなったということがあるわけですが、そのなかでなるほどと思ったお話。
最近、実の母と義理の母をなくした。介護もたいへんだったが後始末もたいへんだったと。
特に残されたものの処分だとおしゃる。
和服やアルバムは当人さんに価値のあるものだが、残されたものにとっては正直価値がない、でも捨てられないんだと。
親の形見を捨てるわけにもいかず、置き場にも困るというわけです。
そして皆さんもそれなりの年だから身辺の整理をしたほうがよいですよと。
年を重ねれば、年にあったことが起きるんですね。
そして、1年後の再会を祈念して終わりました。
幹事役無事終了です。
この職場も事業部を変え、社名を変えてここまできましたが2年以内には収束しそうです。
私もサラリーマン生活のエピローグが始まりました。
それよりも、スクールとこのブログの幕を閉じるときが先に来るか、後になるか。
有終の美を飾りたいんですが・・・、さて。
ストレスが溜まりそうだ。
で朝近くのコートで壁打ちしてからOB会に出かけた。
私はまだ現役ですが、現役のほうが幹事が務まりやすいとうので55歳以上の現役も入っています。
1年1回の集まりですが幹事として今年が2回目。
返信はがきに(1年1回の)この集まりを楽しみにしています書かれていますと幹事役としても嬉しいものです。
でも○○行を様に改めていない人や、出席しないのに苦情が書いてある人のを見ると女房が人柄がこれでわかるわねといいます。
まあ辞めても現役でもいろんな人がいるから仕方ないじゃないと夫婦の会話です。
ことしは会社の近くのお寿司屋で開きました。
北は千葉、南は岡山からも、60数名のうち20名の方が来てくださいました。皆さんお元気そうでなによりでした。
機械設計部門にいた人たちで20歳から36年間いる職場ですから皆さんの顔だけはわかります。
お年は60から80前で、リタイア後は趣味とかボランティア活動とかそれぞれの生活を送っておられるようです。
当然、年も年ですからつれあいが亡くなった(初めての経験ですと冗談をいわれました。そりゃそうだろう)とか、親が亡くなったということがあるわけですが、そのなかでなるほどと思ったお話。
最近、実の母と義理の母をなくした。介護もたいへんだったが後始末もたいへんだったと。
特に残されたものの処分だとおしゃる。
和服やアルバムは当人さんに価値のあるものだが、残されたものにとっては正直価値がない、でも捨てられないんだと。
親の形見を捨てるわけにもいかず、置き場にも困るというわけです。
そして皆さんもそれなりの年だから身辺の整理をしたほうがよいですよと。
年を重ねれば、年にあったことが起きるんですね。
そして、1年後の再会を祈念して終わりました。
幹事役無事終了です。
この職場も事業部を変え、社名を変えてここまできましたが2年以内には収束しそうです。
私もサラリーマン生活のエピローグが始まりました。
それよりも、スクールとこのブログの幕を閉じるときが先に来るか、後になるか。
有終の美を飾りたいんですが・・・、さて。
2007年05月19日
遺跡ウォッチング
先日NHKのテレビ番組を見ていたら奈良(だったと思う)の古墳が紹介されていました。
私も連休中に故郷の古墳を見ています。
昨年からテニススクール通いを始めましたが最初の1ヶ月指導いただいたコーチが郷里の町のほうへ転勤になられました。
故郷へ帰った際、よい機会だと思いそのコーチを訪問しましたが、スクールの傍にあるので帰りに立ち寄ったというわけです。
大きな前方後円墳と小さめの帆立貝式古墳のふたつがあります。
前方後援円墳の下から横方向を眺めたもの(撮影位置1)
前方部から後円部を眺めたもの(撮影位置2)
イマイチ全貌がわかりにくのでGoole Earthのお助けを借ります。
この古墳が一躍有名になったのは大きな船形埴輪が見つかったことからです。
これはもちろんレプリカです。
本物は見たことがないのですが1.4mもあって立派なものだそうです。(傍にいたご婦人に聞きました)
5世紀頃に作られたそうですが、想像だけでこんなものは作れないと思うし、この時代に既に大航海ができる船があったと考えるのが普通ですよね。
素晴らしい技術、文化があったんですね。
今の時代科学技術は発達しましたが、感性とか心の豊かさは1500年前の人のほうがあったんじゃないかなと思えてきます。
そしてここがヤマタイコクだったと信じたいですね。
(邪馬台国とは言いません。山大国です)
詳しいことは
http://inoues.net/museum/matuzaka_museum.html
http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/S05/funegata/index.html
などを見てください。
私も連休中に故郷の古墳を見ています。
昨年からテニススクール通いを始めましたが最初の1ヶ月指導いただいたコーチが郷里の町のほうへ転勤になられました。
故郷へ帰った際、よい機会だと思いそのコーチを訪問しましたが、スクールの傍にあるので帰りに立ち寄ったというわけです。
大きな前方後円墳と小さめの帆立貝式古墳のふたつがあります。
前方後援円墳の下から横方向を眺めたもの(撮影位置1)
前方部から後円部を眺めたもの(撮影位置2)
イマイチ全貌がわかりにくのでGoole Earthのお助けを借ります。
この古墳が一躍有名になったのは大きな船形埴輪が見つかったことからです。
これはもちろんレプリカです。
本物は見たことがないのですが1.4mもあって立派なものだそうです。(傍にいたご婦人に聞きました)
5世紀頃に作られたそうですが、想像だけでこんなものは作れないと思うし、この時代に既に大航海ができる船があったと考えるのが普通ですよね。
素晴らしい技術、文化があったんですね。
今の時代科学技術は発達しましたが、感性とか心の豊かさは1500年前の人のほうがあったんじゃないかなと思えてきます。
そしてここがヤマタイコクだったと信じたいですね。
(邪馬台国とは言いません。山大国です)
詳しいことは
http://inoues.net/museum/matuzaka_museum.html
http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/S05/funegata/index.html
などを見てください。