2006年11月12日
惜別
20年いたクラブを脱会することを書きましたところ、ご意見やご助言をいただきました。
関係のない人間の関係ないクラブのために貴重な時間を割いてまでもコメントを下さり感謝申し上げます。
そもそもブログを始めた動機は、今のクラブをどうにかしたいがどうしたらよいか悩んでいましたので、全国の同じような境遇のテニス好きの方から意見がもらえるかもしれないし、何か打開策が見つかるかもしれないとの思いでした。
しかし、せっかくのご助言もやめてしまうのであれば無駄にしてしまうようで、申し訳ない気持ちです。
これからに生かすため、ご返事の意味も含め何がしたかったのかもう一度振り返って見ようと思います。
6月から80数回程記事を書きましたが、方向がずれてしまったところもあります。
読み返してみますと20回ぐらいまでは我クラブの問題と悩みを書いています。
皆さんの記事を読んでいて、楽しいお話と充実した(と思える)テニスライフに影響されたのか、愚痴になるような記事は情けないとも感じたのか、肝心の問いかけがボケてしまっていったようです。
クラブの歴史(この20年のテニスライフを7年毎の期間に分けてみました)と問題を要約しますと
「発展期」(30代だし元気だった)
始めた頃は8人ぐらいで、レベルも近かったし、上達したい意欲も一緒、朝から晩までやっていました。
クラブ対抗戦も当初はリーグ昇格もできませんでしたが、やがて徐々に成績も良くなっていきました。
郡(現在は市)や県のトーナメントにもよく出ました。(1回戦やっと勝てるぐらいでしたが)
「成熟期」(40台前半だったしまだまだ元気だった)
立派なコートも出来、クラブ対抗戦も8部リーグまで昇格し、テニスの実力も充実した時期でした。8割ぐらいの勝率はありました。
主たるメンバーで指導員の資格も取りました。
町行政とタイアップしてテニス教室も開催し、私もクラブの部長と町体育協会の理事をこなしました。今思えば総合型スポーツクラブの先取りをしていたと思います。
町行政への協力がクラブの地位を上げ、利用料金の半額などの特典をもたらしたと思います。
方向性の問題で女性の会員の分裂と消滅もありましたが、初心者会員も増え、クラブも大きくなっていきました。
「下降期」(50代で元気がなくなってきました)
走りまわることができなくなって、本当のうまさのないことが露呈し、成績がみるみる下降してきました。
主たるメンバーの方向性もズレてきました。向上目的であったクラブ対抗戦に勝てなくなったからか外れるもの、NO.1の実力者でありながら何度頼んでも幹事役を全くしない自分本位な人にいやな思いがつのりはじめました。
チームならとうに消滅していたはずですが、幸か不幸か練習に参加する人がたくさんいたのでクラブだけは存続しています。
不幸かという意味は増加した人が、たまに参加できれば良いという人が多くて、運営に関わる人が少ないということです。
結局役員は決まってしまい、若返りせずリタイアした人たちに頼る結果になってしまいました。若い人も入ってきませんし(高校生もいたときがありましたが、年寄りのチンタラした練習ではつまらなかったのでしょう、遠ざかっていきました。)活性化が程遠くなっていくばかりです。
初心者には向かず、誰かがすべて段取りしてくれる、たまに来てそこそこのゲームができる人にハッピーなクラブではあります。それはそれで良いところもあるのでしょうが、違和感がつのるばかりです。
練習のあり方(その1)
こんなことでは老人クラブになってしまうとの思い、まだ自分自身もまだ向上できるとの強い思いもあって、練習方法、時間も提案して工夫を加えてきました。
しかし全員に浸透させるのは難しいものです。力不足でもありましたが、向かう山そのものが違うのに、同じ道はありえません。
NO.21 練習のあり方(その2)
ブログを始めて皆さんの記事を見ていると、質をスクールで、量や仲間との楽しみをクラブ、サークルでとうまくバランスをとっておられるみたいなので、一念発起して8月からスクールにも行きだしました。
お近くのブログのお仲間も同じような環境だとコメントをくださいました。
ひとつのところで両方(質と量)は無理な要求であるのかもしれないと思い始めました。
そこへ決定付けるような発言もでてきてプッツンしてしまいました。
それなりにクラブの発展に寄与してきたと自負するものには許せない発言でした。
これは私に度量というか器が小さかったのでしょう。
テニス&温泉 (NO.52)
仲間とも話しましたが、理解はしてもらえても大きな改革として同調は得られず、もう充分考えただろうと自分を納得させました。
また育ててもらったクラブには充分お返しはしたはず(12年は何らかの役をしていました)なので、我が道を行くことにします。
まだ県テニス協会の委員の仕事があり、12月までは在籍しますが、除夜の鐘とともに「消え去るのみ」です。
ご助言を頂いた方に、もう一度厚くお礼申し上げます。
そして初心に戻って新しいテニス、新しいブログ(?これはどうなるかわかりません。これも消え去るのみかもしれませんが)を目指します。
関係のない人間の関係ないクラブのために貴重な時間を割いてまでもコメントを下さり感謝申し上げます。
そもそもブログを始めた動機は、今のクラブをどうにかしたいがどうしたらよいか悩んでいましたので、全国の同じような境遇のテニス好きの方から意見がもらえるかもしれないし、何か打開策が見つかるかもしれないとの思いでした。
しかし、せっかくのご助言もやめてしまうのであれば無駄にしてしまうようで、申し訳ない気持ちです。
これからに生かすため、ご返事の意味も含め何がしたかったのかもう一度振り返って見ようと思います。
6月から80数回程記事を書きましたが、方向がずれてしまったところもあります。
読み返してみますと20回ぐらいまでは我クラブの問題と悩みを書いています。
皆さんの記事を読んでいて、楽しいお話と充実した(と思える)テニスライフに影響されたのか、愚痴になるような記事は情けないとも感じたのか、肝心の問いかけがボケてしまっていったようです。
クラブの歴史(この20年のテニスライフを7年毎の期間に分けてみました)と問題を要約しますと
「発展期」(30代だし元気だった)
始めた頃は8人ぐらいで、レベルも近かったし、上達したい意欲も一緒、朝から晩までやっていました。
クラブ対抗戦も当初はリーグ昇格もできませんでしたが、やがて徐々に成績も良くなっていきました。
郡(現在は市)や県のトーナメントにもよく出ました。(1回戦やっと勝てるぐらいでしたが)
「成熟期」(40台前半だったしまだまだ元気だった)
立派なコートも出来、クラブ対抗戦も8部リーグまで昇格し、テニスの実力も充実した時期でした。8割ぐらいの勝率はありました。
主たるメンバーで指導員の資格も取りました。
町行政とタイアップしてテニス教室も開催し、私もクラブの部長と町体育協会の理事をこなしました。今思えば総合型スポーツクラブの先取りをしていたと思います。
町行政への協力がクラブの地位を上げ、利用料金の半額などの特典をもたらしたと思います。
方向性の問題で女性の会員の分裂と消滅もありましたが、初心者会員も増え、クラブも大きくなっていきました。
「下降期」(50代で元気がなくなってきました)
走りまわることができなくなって、本当のうまさのないことが露呈し、成績がみるみる下降してきました。
主たるメンバーの方向性もズレてきました。向上目的であったクラブ対抗戦に勝てなくなったからか外れるもの、NO.1の実力者でありながら何度頼んでも幹事役を全くしない自分本位な人にいやな思いがつのりはじめました。
チームならとうに消滅していたはずですが、幸か不幸か練習に参加する人がたくさんいたのでクラブだけは存続しています。
不幸かという意味は増加した人が、たまに参加できれば良いという人が多くて、運営に関わる人が少ないということです。
結局役員は決まってしまい、若返りせずリタイアした人たちに頼る結果になってしまいました。若い人も入ってきませんし(高校生もいたときがありましたが、年寄りのチンタラした練習ではつまらなかったのでしょう、遠ざかっていきました。)活性化が程遠くなっていくばかりです。
初心者には向かず、誰かがすべて段取りしてくれる、たまに来てそこそこのゲームができる人にハッピーなクラブではあります。それはそれで良いところもあるのでしょうが、違和感がつのるばかりです。
練習のあり方(その1)
こんなことでは老人クラブになってしまうとの思い、まだ自分自身もまだ向上できるとの強い思いもあって、練習方法、時間も提案して工夫を加えてきました。
しかし全員に浸透させるのは難しいものです。力不足でもありましたが、向かう山そのものが違うのに、同じ道はありえません。
NO.21 練習のあり方(その2)
ブログを始めて皆さんの記事を見ていると、質をスクールで、量や仲間との楽しみをクラブ、サークルでとうまくバランスをとっておられるみたいなので、一念発起して8月からスクールにも行きだしました。
お近くのブログのお仲間も同じような環境だとコメントをくださいました。
ひとつのところで両方(質と量)は無理な要求であるのかもしれないと思い始めました。
そこへ決定付けるような発言もでてきてプッツンしてしまいました。
それなりにクラブの発展に寄与してきたと自負するものには許せない発言でした。
これは私に度量というか器が小さかったのでしょう。
テニス&温泉 (NO.52)
仲間とも話しましたが、理解はしてもらえても大きな改革として同調は得られず、もう充分考えただろうと自分を納得させました。
また育ててもらったクラブには充分お返しはしたはず(12年は何らかの役をしていました)なので、我が道を行くことにします。
まだ県テニス協会の委員の仕事があり、12月までは在籍しますが、除夜の鐘とともに「消え去るのみ」です。
ご助言を頂いた方に、もう一度厚くお礼申し上げます。
そして初心に戻って新しいテニス、新しいブログ(?これはどうなるかわかりません。これも消え去るのみかもしれませんが)を目指します。