2006年12月20日
レッスン19回目
火曜日はスクールの日。
夜の峠越えは寂しいです。道路の電光掲示板で表示される気温は2℃。
そろそろタイヤを替えなければならない時期になりました。
今日の練習の特徴は
レシーブ側をチャンピオンとみて、サーバー側が3回サーブして2ポイント取れればチャンピオンとなってレシーブ側になれるというもの。
フォールトも1ポイントなので、ダブルフォールトすればそれでおしまい。
つまりサービスをきっちり入れる練習でもあります。
でもただ入れるだけでは強いリターンが返ってきますから、深く入れる必要もあります。
若いKちゃんとかは入るとすごい速いのですが、かなりフォールトが多い。
こういう人はレシーブ側は本当に楽。
やっぱりダブルスは速くなくても1STをそれなりのスピードで確率良く入れて来る人がやっかいですね。
パートナーもポーチのチャンスが増えますし、ポイントを取れる確立が大きいと思います。
逆にダブルフォールトは良い流れを断ち切ってしまいます。
私はスライス系のサービスが得意なので
1STはやや速めに、2NDはややスピードを落とし回転を増すように打ちます。振るスピードを変えずに厚く打つか、薄く打つかで調整しています。
フォールトも1回だけでしたし、コーチに対してもチャンピオン権をとれました。
やっぱり練習でもポイントを数えるなどして、
プレッシャーのなかでどれだけ思いっきりよくラケットが振り切れるかを試さないとだめですね。
練習のための練習ではなく、試合のための練習でなくてはいけないですよね。
さて金・土と神戸で開催中のイザワX'mas OPENを観戦する予定です。金曜夜は中ノ島で泊まって神戸ワインを飲み倒すぞ。
そして26日のスクールでテニス納めとします。
早いですね1年は。
夜の峠越えは寂しいです。道路の電光掲示板で表示される気温は2℃。
そろそろタイヤを替えなければならない時期になりました。
今日の練習の特徴は
レシーブ側をチャンピオンとみて、サーバー側が3回サーブして2ポイント取れればチャンピオンとなってレシーブ側になれるというもの。
フォールトも1ポイントなので、ダブルフォールトすればそれでおしまい。
つまりサービスをきっちり入れる練習でもあります。
でもただ入れるだけでは強いリターンが返ってきますから、深く入れる必要もあります。
若いKちゃんとかは入るとすごい速いのですが、かなりフォールトが多い。
こういう人はレシーブ側は本当に楽。
やっぱりダブルスは速くなくても1STをそれなりのスピードで確率良く入れて来る人がやっかいですね。
パートナーもポーチのチャンスが増えますし、ポイントを取れる確立が大きいと思います。
逆にダブルフォールトは良い流れを断ち切ってしまいます。
私はスライス系のサービスが得意なので
1STはやや速めに、2NDはややスピードを落とし回転を増すように打ちます。振るスピードを変えずに厚く打つか、薄く打つかで調整しています。
フォールトも1回だけでしたし、コーチに対してもチャンピオン権をとれました。
やっぱり練習でもポイントを数えるなどして、
プレッシャーのなかでどれだけ思いっきりよくラケットが振り切れるかを試さないとだめですね。
練習のための練習ではなく、試合のための練習でなくてはいけないですよね。
さて金・土と神戸で開催中のイザワX'mas OPENを観戦する予定です。金曜夜は中ノ島で泊まって神戸ワインを飲み倒すぞ。
そして26日のスクールでテニス納めとします。
早いですね1年は。
2006年12月20日
ランキング戦余話
日曜日の午後2時から6時過ぎまでスクールでダブルスランキング戦を楽しんだのですが、そのとき待合室でぽつりとひとり座っておられる婦人がおられました。
年かっこうがお袋に似ているので、思わず声をかけてしまいました。
お歳を聞くと大正8年生まれとか。
私の母は大正3年生まれの92歳ですというと(私の方が)若いわねとおっしゃる。
まあ87歳のほうが若いのは間違いありません。
息子さん(決勝で当たった同年輩の方)と一緒に来て、試合が終わるのを待っておられたんですね。
今日フロントの方に聞いたら、息子さんの練習によく一緒に来られて待っておられるらしい。
不思議なものですね、聞いてみると戦前は私のと同じ郡(地名もわかりました)に住んでいたそうです。
女学校のときテニスをしていたそうです。
私のお袋は尋常小学校しかでていませんので、よいお家だったのでしょう。
戦時中は満州にいたとか、夫の戦争中の悲しい話(人肉を食べて生き延びたとか)も話してくださいました。
テニスは良い遊びですよと話してくださいました。
悪い遊びもした私は内心こころ穏やかではありませんでした。
(悪い遊びとはなんじゃいななんて聞かないでくださいね。)
こうやってテニスできるのは平和ですね。
ところで私はこの前母からお小遣いをもらいました。
いつまでたっても母と子ですね。(当たり前か)
寂しい思いをさせている罰当たりな息子です。反省。
年かっこうがお袋に似ているので、思わず声をかけてしまいました。
お歳を聞くと大正8年生まれとか。
私の母は大正3年生まれの92歳ですというと(私の方が)若いわねとおっしゃる。
まあ87歳のほうが若いのは間違いありません。
息子さん(決勝で当たった同年輩の方)と一緒に来て、試合が終わるのを待っておられたんですね。
今日フロントの方に聞いたら、息子さんの練習によく一緒に来られて待っておられるらしい。
不思議なものですね、聞いてみると戦前は私のと同じ郡(地名もわかりました)に住んでいたそうです。
女学校のときテニスをしていたそうです。
私のお袋は尋常小学校しかでていませんので、よいお家だったのでしょう。
戦時中は満州にいたとか、夫の戦争中の悲しい話(人肉を食べて生き延びたとか)も話してくださいました。
テニスは良い遊びですよと話してくださいました。
悪い遊びもした私は内心こころ穏やかではありませんでした。
(悪い遊びとはなんじゃいななんて聞かないでくださいね。)
こうやってテニスできるのは平和ですね。
ところで私はこの前母からお小遣いをもらいました。
いつまでたっても母と子ですね。(当たり前か)
寂しい思いをさせている罰当たりな息子です。反省。