2007年04月08日
日本人の心
今日は桜も満開で春爛漫といった日和でした。
久しぶりに郷里の母に顔を見せにいきました。
でも残念民謡の発表会に出かけていて留守でした。前日に電話しておけばよかった。
ということで92歳の母とのEメールプロジェクトの話は次に持ち越しです。
兄によれば、またワープロで原稿を書いて新聞に投書したらしいのでその記事を入手できたら紹介したいものです。
田舎は太平洋側なので私の所より暖かく、一面満開でした。
ソメイヨシノも美しいですが山をピンクに染める山桜も美しかった。
「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」
郷里松阪の偉人 本居宣長の句です。
(古事記伝を著した国文学者でもあり医者でもあった人です)
日本人の心はと問われたら、私は朝日に匂う山桜のようだと答えたい、そんな意でしょうか。
どうして日本人はこうも桜に思い入れがあるのでしょうか。
散りゆく様が武士道の精神(それは日本人の精神でもある)に通じるとか、そういう理由付けをいうよりも、桜の花そのままのように清く美しい心でありたいものですね。
母に会えなかったので車で15分ほど行ったところの山頂にあるその本居宣長の奥墓(おくつきと読みます)に寄ってみました。
中学生時代に遠足で(40年程前)と次男が小さいとき(確か16~17年前)に来たことがあります。
彼の遺言で町から離れたこの山の上に墓が作られたそうです。
墓石の字も直筆とか。
静かで清らかな山で眠りたかったのでしょうね。
彼が愛してやまなかった山桜もそばに植えられています。
墓石の後ろの木ですが大木で1枚には写りませんでした。
花もまだのようでした。
前に見たときはお墓の真横までいけたのと、桜を模った石があった記憶がありますが、それがなく囲いがしてありました。
少し違うなと思ったらやはり5年前、没後200年の時修復されていました。
それまで見たのは明治時代に修復されたもので、当時の絵図を基にオリジナルに近いものにしたとありました。
2組の夫婦も訪れていましたので、この桜は200年前のものなんでしょうかと立ち話をしました。
200年前と(おそらく)変らない、静かな風が流れていました。
久しぶりに郷里の母に顔を見せにいきました。
でも残念民謡の発表会に出かけていて留守でした。前日に電話しておけばよかった。
ということで92歳の母とのEメールプロジェクトの話は次に持ち越しです。
兄によれば、またワープロで原稿を書いて新聞に投書したらしいのでその記事を入手できたら紹介したいものです。
田舎は太平洋側なので私の所より暖かく、一面満開でした。
ソメイヨシノも美しいですが山をピンクに染める山桜も美しかった。
「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花」
郷里松阪の偉人 本居宣長の句です。
(古事記伝を著した国文学者でもあり医者でもあった人です)
日本人の心はと問われたら、私は朝日に匂う山桜のようだと答えたい、そんな意でしょうか。
どうして日本人はこうも桜に思い入れがあるのでしょうか。
散りゆく様が武士道の精神(それは日本人の精神でもある)に通じるとか、そういう理由付けをいうよりも、桜の花そのままのように清く美しい心でありたいものですね。
母に会えなかったので車で15分ほど行ったところの山頂にあるその本居宣長の奥墓(おくつきと読みます)に寄ってみました。
中学生時代に遠足で(40年程前)と次男が小さいとき(確か16~17年前)に来たことがあります。
彼の遺言で町から離れたこの山の上に墓が作られたそうです。
墓石の字も直筆とか。
静かで清らかな山で眠りたかったのでしょうね。
彼が愛してやまなかった山桜もそばに植えられています。
墓石の後ろの木ですが大木で1枚には写りませんでした。
花もまだのようでした。
前に見たときはお墓の真横までいけたのと、桜を模った石があった記憶がありますが、それがなく囲いがしてありました。
少し違うなと思ったらやはり5年前、没後200年の時修復されていました。
それまで見たのは明治時代に修復されたもので、当時の絵図を基にオリジナルに近いものにしたとありました。
2組の夫婦も訪れていましたので、この桜は200年前のものなんでしょうかと立ち話をしました。
200年前と(おそらく)変らない、静かな風が流れていました。
先日 メンバラさんのブログで水面が桜色のを見ました。
山も桜色に染まるのですね。
私の住んでいるところは、人や車があふれかえっていますが、あちこちに桜の木があります。
今日も、週に一度の買い出しに行く車の中で ぼんやりと(あ、運転は旦那です) 外の桜を眺めながら、なんて さくらの木の多いことよ・・・と改めて感じていました。
満開の桜も美しいですが、わたしは 桜吹雪に吹かれる(おかしな表現ですね!)のが好きなんです。
さくらの国の住人でよかった~(*^_^*)
ところで、おかあさまとすれ違い、残念でしたね。
記事の話、たのしみにしています。
山桜綺麗ですね~。
今、職場で中国人の方と一緒に仕事をしているのですが、
『日本人は桜好きですね~』って最近よく言われますよ。
やっぱり日本人ならではの感覚なんでしょうかね~。
なんだか不思議なものですね。
そんなことに心が動く人、好きですね。
中国なら桃か梅なんでしょうか。
でもその季節もあっというまに終わります。
桜のように美しい人早く射止めてね。
山桜、キレイですね~
お母様、まだまだお元気な92歳なのですね
ワープロを打ち、Eメールにも挑戦するなんてビックリです
記事を入手されたらぜひ紹介して下さいね~
素敵なお母様ですね。
お年寄りと接することが多いのですが
日本人の平均寿命が世界一と言っても、
医療の力で生かされてる方が多く、
自分のことが自分ででき、口からお食事ができるお年よりは本当に少ないと感じます。
健康でも、ひがみっぽかったり、心配性すぎたり、ボケボケだったりする人がほとんどで
生活を楽しめ、ご家族・ご友人に恵まれ、なおかつ趣味も満喫できるおかあさまは数少ない理想的な92歳ですよね。
どうぞ、いつまでもお大事になさってください。
「日本人の心」何度も読み直しました。
お母様のこと、桜のこと、本居宣長のこと、いろいろ考えてしまってなかなかコメントできませんでした。
>桜の花そのままのように清く美しい心でありたい
これに共感します。
奥墓を調べてみて「宣長が必ずしも散る桜を賛美したわけではない」ということも勉強させていただきました。
82歳からの挑戦ですよ。すごいですよね。
Eメールはパンドラさんの勧めで、私が教えようと思っています。
早く実現させたいですね。
きらきら星さんは介護に関係あるお仕事でもされているのでしょうか。
命より大事な健康、一見おかしな言葉ですが、生きていても寝たきりみたいなら生きてる価値がありません。(誤解生みそうな言い方ですが)
元気でいてくれるのはほんとうにありがたいことです。
これからも日記で母を登場させますよ。
思うこと気軽に書いてください。
桜の季節になるとこの歌を直ぐに思い出します。
私も宣長の生涯をそんなに知っているわけでもないです。
が、宣長の書斎「鈴の屋」が学校のそばの松阪城に保存されており、高校の校歌にも歌われるぐらいの松阪の偉人ですから、この句は覚えました。
おっしゃるように純粋に花が美しいことが好きだったのだと私も思います。
私ごときの日記で宣長のこと勉強される機会になったこと、とても嬉しく思います。