2007年01月19日
がばいばあちゃん
漫才師島田洋七さんの本「佐賀のがばいばあちゃん」を読みました。
テレビドラマのさわりを見たので、スクールに行った際、お昼の合間に本屋の寄って文庫本を買いました。
ブログ仲間のひろちゃんもこの本のことを紹介されています。
同期入社で佐賀出身の友人がいますが”がばい”(すごいの意)ということばは聞いた覚えはありません。
戦後まもなく広島から佐賀の祖母の元に預けられた作者の体験記ですが、どんなに貧乏でもとんでもなく元気で明るいおばあさんとのエピソードを敬意を込めて書いておられます。
この本を読むと、何にもなくておなかがすくと大根やさつまいもを生でかじっていたころを思い出します。
実は島田洋七さんは私と同じ歳なんです。やっぱり同じ時代を育った共有感があります。
「貧乏には暗い貧乏と明るい貧乏がある、うちは明るい貧乏だからよか。しかも最近貧乏になったのと違う。先祖代々貧乏だから自信持ちなさい」
底抜けに明るい、いい生き方をしたおばあちゃんだったようです。
最近感じますよね。物はあふれ豊かになったのに、なにか失くしたような気がします。
繁栄と引替えに失くしたもの・・。
公務員の裏金つくり。
食品会社のずさんな管理。
自動車会社のクレームかくし。などなど。
金のためならなんでもやる、そんな風潮に日本の社会がはまってしまっています。
幸せはお金が決めるんじゃなかとです。
(これは佐賀弁かどうか疑わしいです。長崎弁かもしれません)
テレビドラマのさわりを見たので、スクールに行った際、お昼の合間に本屋の寄って文庫本を買いました。
ブログ仲間のひろちゃんもこの本のことを紹介されています。
同期入社で佐賀出身の友人がいますが”がばい”(すごいの意)ということばは聞いた覚えはありません。
戦後まもなく広島から佐賀の祖母の元に預けられた作者の体験記ですが、どんなに貧乏でもとんでもなく元気で明るいおばあさんとのエピソードを敬意を込めて書いておられます。
この本を読むと、何にもなくておなかがすくと大根やさつまいもを生でかじっていたころを思い出します。
実は島田洋七さんは私と同じ歳なんです。やっぱり同じ時代を育った共有感があります。
「貧乏には暗い貧乏と明るい貧乏がある、うちは明るい貧乏だからよか。しかも最近貧乏になったのと違う。先祖代々貧乏だから自信持ちなさい」
底抜けに明るい、いい生き方をしたおばあちゃんだったようです。
最近感じますよね。物はあふれ豊かになったのに、なにか失くしたような気がします。
繁栄と引替えに失くしたもの・・。
公務員の裏金つくり。
食品会社のずさんな管理。
自動車会社のクレームかくし。などなど。
金のためならなんでもやる、そんな風潮に日本の社会がはまってしまっています。
幸せはお金が決めるんじゃなかとです。
(これは佐賀弁かどうか疑わしいです。長崎弁かもしれません)
わたし、この本をテニス仲間に借りて読みましたよ。
「パンドラさんに合うと思うよ」と言って勧めてくれたのです。
貧乏を羞じず、学校の成績が悪いのにも動ぜず、ある意味悠々自適な生活を送られたのかも・・・
だって、毎朝伊勢エビのみそ汁!
今のほうが、色んな意味で貧しい生活かもしれません。
特に 心が・・・
トラックバックありがとうございます。
「佐賀のばがいばあちゃん」、「笑顔で生きんしゃい」、「幸せのトランク」読みましたが、やはり、初版の「佐賀の~」が、一番好きです。
映画も借りてみてみましたが、本で読んだほうがよかったかな~。
登場人物がみんな、素直で純粋です。
人間性が変わっていくのは残念ですね。
仲間の方がパンドラに合うと思うよとおっしゃったのはどんな意味なのでしょうか。
パンドラさんの心の広さが共通だったからかなと私は理解しました。
>だって、毎朝伊勢エビのみそ汁!
この部分は読んでいない人には補足説明がいるかもしれませんね。ザリガニを伊勢エビといったおばあちゃんの罪のない嘘、
ものがなくても、気持ち次第で幸せになれるということですね。
トラックバックの際、概要欄にトンチンカンなことを書いたようなきがします。
この記事だけの感想をかくべきところ、ひろちゃんのブログの印象だけ書いてしまいました。よく解っていない私です。
ひろちゃんのエッセイではおばあちゃんの言った「人生は総合力」を強調されていましたね。
困難なとき、地位や金でなく、その人の持っている対応力があれば乗り切れるのということでしょう。
テニスもそうかもしれません。コーディネーションとか言いますが、その場その場で最善の調整ができるということでしょうか。
トラックバックの概要欄↑、ファイブKさんが言われるまで、何も
気にしていませんでした。私はそういう性格です。(^^;