2007年01月18日
あれから12年
神戸の震災からもう12年経つのですね。
今でもあの日の朝のことは不思議です。
いつも早く起きるわけではないのに、ふと目を覚ました直後にグラグラっときて、倒れる、もうアカンと本当に思いました。
たぶん鉄道はだめだろうと思い車で出勤しましたが、カーラジオのニュースは時間をおくごとに死者の数が増えていったのを思い出します。
この災害で肉親をなくした方と、9.11事件でやはり肉親をなくしたアメリカ人との往復メールが新聞に載っています。
私のように被害のなかったものは、時が過ぎれば思い出ぐらいになってしまいますが、肉親を亡くした人たちにとって、悲しみは去らず癒されることはないでしょうね。
どちらも助けてやれなかった無力感、喪失感に今も悩まされると書いておられます。
この年、平成7年は別のことでも記憶に残る年でした。
平成7年7月6日、夜10時ごろ帰宅すると、次男が言うに、お兄ちゃんが車にはねられ、お母さんが病院へ行ったと。
あわてて近くの病院へ行くと、充分な設備がないので大学病院へ転送されていました。
車で1時間程飛ばし、集中治療室の前で朝まで過ごしましたが7・7・7が最悪の日になってしまいました。
1週間意識不明でしたが、回復し6ヶ月の入院治療後高校に復学して今は元気です。
ただ、当時高校生でテニス部でしたので一緒にテニスもすることがあったのですが、骨折の後遺症でそれ以来スポーツはできなくなってしまいました。
親も、なにより本人がそれを一生引きずっていかなければならないのが悲しいです。
たらは北海道なんて書いてしまいましたが、時間が戻せるものなら、息子にだけは戻して欲しい。そんな思いです。
今でもあの日の朝のことは不思議です。
いつも早く起きるわけではないのに、ふと目を覚ました直後にグラグラっときて、倒れる、もうアカンと本当に思いました。
たぶん鉄道はだめだろうと思い車で出勤しましたが、カーラジオのニュースは時間をおくごとに死者の数が増えていったのを思い出します。
この災害で肉親をなくした方と、9.11事件でやはり肉親をなくしたアメリカ人との往復メールが新聞に載っています。
私のように被害のなかったものは、時が過ぎれば思い出ぐらいになってしまいますが、肉親を亡くした人たちにとって、悲しみは去らず癒されることはないでしょうね。
どちらも助けてやれなかった無力感、喪失感に今も悩まされると書いておられます。
この年、平成7年は別のことでも記憶に残る年でした。
平成7年7月6日、夜10時ごろ帰宅すると、次男が言うに、お兄ちゃんが車にはねられ、お母さんが病院へ行ったと。
あわてて近くの病院へ行くと、充分な設備がないので大学病院へ転送されていました。
車で1時間程飛ばし、集中治療室の前で朝まで過ごしましたが7・7・7が最悪の日になってしまいました。
1週間意識不明でしたが、回復し6ヶ月の入院治療後高校に復学して今は元気です。
ただ、当時高校生でテニス部でしたので一緒にテニスもすることがあったのですが、骨折の後遺症でそれ以来スポーツはできなくなってしまいました。
親も、なにより本人がそれを一生引きずっていかなければならないのが悲しいです。
たらは北海道なんて書いてしまいましたが、時間が戻せるものなら、息子にだけは戻して欲しい。そんな思いです。