2013年05月02日
卒業
44年働いた会社を退職した。
親会社→子会社→孫会社と途中2回退職したかたちではあるが仕事はほぼ同じ、合繊機械の販売業である。
最初に2年の開発研究と最後の5年の部品販売をのぞいて大半が設計部門だった。
入社した翌年に大阪万博が開かれ日本が高度成長が始まったころである。
また合成繊維の製造技術が革新的に変わり、高速化、省力化も進んだことで、その需要のために仕事には恵まれてた。
出世は年功序列的では早かったわけではないが、それなりに管理職にもなったし、遅かった分設計部門で長くいたことが専門職で生きられたのだろう。
国内はもとより海外5大陸16カ国にも輸出され、今も稼動中なのは誇りでもある。
自分一人の成果でもないし、100点満点の性能でもなかったが、その国の雇用や発展に貢献できたのであれば一応世のため人のためになっただろう。
職場の仲間から、4回も送別会をしていただいた。
無事仕事を果たせたのも周りの人のおかげであるし、感謝である。
また餞別とたくさんのプレゼントを頂いた。
新装開店みたいだ。
バックパックにクールネック。
翡翠製の印鑑は出張先の中国で作ってくれたそうだ。
半分で指輪3個ぐらい作れそうだ。(作るなよ)
私がテニスをしていることを知っている人はテニスウェアもたくさんくれた。
フィラのジャージセット、フレッドペリーのTシャツ、ラコステのポロシャツなどなど。
フレッドペリーとかラコステなんて伝説のプレーヤだね。
テニス豆知識のクイズをだしてもブランド名としては知っていてもテニスプレーヤとは知らない人も多いはず。
着るのがMOTTAINAI
「勿体無い」
英語にはない概念らしい。
ある本に
ケニアの環境大臣ワンガリ・マータイ氏が
リデュ-ス(消費削減)、リユース(再使用)、リサイクル(資源再利用)、リペア(修理)の意味で広めようと演説されたとある。
私には「分に過ぎて恐縮」である。
こんなの着て下手なテニスができないぜ。
皆さん、本当にありがとう。
親会社→子会社→孫会社と途中2回退職したかたちではあるが仕事はほぼ同じ、合繊機械の販売業である。
最初に2年の開発研究と最後の5年の部品販売をのぞいて大半が設計部門だった。
入社した翌年に大阪万博が開かれ日本が高度成長が始まったころである。
また合成繊維の製造技術が革新的に変わり、高速化、省力化も進んだことで、その需要のために仕事には恵まれてた。
出世は年功序列的では早かったわけではないが、それなりに管理職にもなったし、遅かった分設計部門で長くいたことが専門職で生きられたのだろう。
国内はもとより海外5大陸16カ国にも輸出され、今も稼動中なのは誇りでもある。
自分一人の成果でもないし、100点満点の性能でもなかったが、その国の雇用や発展に貢献できたのであれば一応世のため人のためになっただろう。
職場の仲間から、4回も送別会をしていただいた。
無事仕事を果たせたのも周りの人のおかげであるし、感謝である。
また餞別とたくさんのプレゼントを頂いた。
新装開店みたいだ。
バックパックにクールネック。
翡翠製の印鑑は出張先の中国で作ってくれたそうだ。
半分で指輪3個ぐらい作れそうだ。(作るなよ)
私がテニスをしていることを知っている人はテニスウェアもたくさんくれた。
フィラのジャージセット、フレッドペリーのTシャツ、ラコステのポロシャツなどなど。
フレッドペリーとかラコステなんて伝説のプレーヤだね。
テニス豆知識のクイズをだしてもブランド名としては知っていてもテニスプレーヤとは知らない人も多いはず。
着るのがMOTTAINAI
「勿体無い」
英語にはない概念らしい。
ある本に
ケニアの環境大臣ワンガリ・マータイ氏が
リデュ-ス(消費削減)、リユース(再使用)、リサイクル(資源再利用)、リペア(修理)の意味で広めようと演説されたとある。
私には「分に過ぎて恐縮」である。
こんなの着て下手なテニスができないぜ。
皆さん、本当にありがとう。
送別会のプレゼントから、
周りの方に慕われていたのが理解できます。
ちょっと羨ましいです。
こちらは、外資が入り、
だんだん横の関係が希薄になり、
定年まで働けるか微妙になってきました。
ふら~っとこちらへ寄ってみましたら、なんと定年の記事。
長いおつとめ(←なんか変な意味ではない)お疲れ様でした。
たくさんのプレゼントに送別会。
ファイブKさんが、いかにみなさんに慕われていたかよくわかりますね。
ファイブKさんのことだから、年中GWのようにはすごされないとは思いますが、しばらくはゆ~~っくりと、長年の疲れを癒してくださいね。 …奥様と (^_-)
>半分で指輪3個
ということは、全部で6個。 どの指あけて待ってようかなぁ~
私たちの世代は年功序列、終身雇用という古きよき時代だったんでしょうね。職場でも一泊旅行、バス旅行なんかあってつながりがありました。(みんな金もなかったからですが)今は派遣社員が半数近くを占めています。そもそも正社員という言葉はなかったような気がします。
敵対的な関係の会社と合併して、出身の工場もなくなりかけたけど何とか生き延びてはきていますが、これからはどうなるかです。そういうものを見なくて辞められたのも運でしょう。
働こうと思えばもう少し働けたのですが、人生は残り短いし、奉公はもう充分だろうと辞めました。
畑を借りて晴耕雨読でいこうかなと計画しています。
平日もテニスができますのでまた呼んでください。
翡翠、どのぐらいの質のものかわかりませんが、たぶん宝石にはならいないものでしょう。
翡翠もどきぐらいにはなるかな。