2006年10月28日
"むべ"なるかな
「むべなるかな」といわれて「なるほど、もっともなことである」という意味を知っている人は少ないのではないかと思います。
ここ滋賀県は天智天皇(大化の改新を行った中大兄皇子)が作った大津京がありましたので、その歴史がたくさんあります。
私の会社の敷地内(職場の目の前)にも天智天皇跡目争いの壬申の乱の兵士の墓と言われる功臣塚があります。
額田王の
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る(万葉集)」も蒲生野で歌ったものです。
滋賀県の蒲生野に伝わる伝説
大化の改新を行った天智天皇がこの土地を訪れ、8人の子供を持つ健康な老夫婦に出会った。
「長寿の秘訣は?」と天智天皇に聞かれた老夫婦は「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年食します」と言いながら、ひとつの果実を差し出した。
これを食した天智天皇が「むべなるかな」(なるほど、いかにも)とこたえたという。
以来、この果実は「むべ」と呼ばれ、現在でも毎年秋に皇室に献上されています。
むべの実です。
自生するものですが、気候とか最適なところがあるようで、どこにでもあるというわけではないようです。
近江八幡はなぜか最適であったようです。
これは栽培されているものです。
アケビと似ていますが皮は割れません。
上があけび、下がむべ。
甘さはアケビほうがやや甘いです。
特産品として販売されています。
お酒、香りがあって美味しいですよ。
興味のある方は下記を。
http://oisi.gaido.jp/mube/
職場で一緒だった方の兄上が町起しとして栽培を始め、10年たってやっと収穫できるようになったとか。
むべを漢字では郁子と当てたので、郁子さんという名前の女性がたくさん訪れていました。
ここ滋賀県は天智天皇(大化の改新を行った中大兄皇子)が作った大津京がありましたので、その歴史がたくさんあります。
私の会社の敷地内(職場の目の前)にも天智天皇跡目争いの壬申の乱の兵士の墓と言われる功臣塚があります。
額田王の
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る(万葉集)」も蒲生野で歌ったものです。
滋賀県の蒲生野に伝わる伝説
大化の改新を行った天智天皇がこの土地を訪れ、8人の子供を持つ健康な老夫婦に出会った。
「長寿の秘訣は?」と天智天皇に聞かれた老夫婦は「この地で取れる無病長寿の霊果を毎年食します」と言いながら、ひとつの果実を差し出した。
これを食した天智天皇が「むべなるかな」(なるほど、いかにも)とこたえたという。
以来、この果実は「むべ」と呼ばれ、現在でも毎年秋に皇室に献上されています。
むべの実です。
自生するものですが、気候とか最適なところがあるようで、どこにでもあるというわけではないようです。
近江八幡はなぜか最適であったようです。
これは栽培されているものです。
アケビと似ていますが皮は割れません。
上があけび、下がむべ。
甘さはアケビほうがやや甘いです。
特産品として販売されています。
お酒、香りがあって美味しいですよ。
興味のある方は下記を。
http://oisi.gaido.jp/mube/
職場で一緒だった方の兄上が町起しとして栽培を始め、10年たってやっと収穫できるようになったとか。
むべを漢字では郁子と当てたので、郁子さんという名前の女性がたくさん訪れていました。
滋賀県はほんとに史跡が多いですね。土地そのものが史跡といった感じです。
僕は記事に出てきた蒲生野と呼ばれるところに住んでいます。
蒲生郡日野町です。
この地に来てからもう18年になりますが、“むべ”のことは初めて知りました。
日野町はいにしえには日野牧と言われ、天智天皇の狩場が設置されていたところと聞いています。
今でも猿や狐や狸や鹿といった野生動物を度々見かけます。
この地に住むことになったのは就職した会社の事業所がこちらにあったためであり偶然の賜物ですが、大変感慨深いものがあります。
私は松阪の出身ですが、日野の武将蒲生氏郷が松阪に城を作り松阪商人(実は出身は近江商人)を育てたのはご存知ですよね。松阪にも日野町があります。高校は松阪城の傍でした。
そして松阪商人だった三井高時がやがて三井物産になり、東レを作ったのです。
歴史は大好きですが、いまや受験には必要ないと勉強しないようですね。残念な話です。
ファイブKさんは松坂の出身だったんですね。蒲生氏郷ゆかりの地は見ておきたいと思い、5年ほど前に会津若松には一人旅で行きました。松坂もいずれは見ておかなければならない土地です。
僕の出身は三島市の隣町です。東レ三島工場からは直線で2キロくらいの距離です。毎年初詣は三島大社に行くのですが、数年前にアローズの男子選手がそろって初詣に来てるのに出くわしました。身長の高い人がずらっと並んでの初詣には圧倒されました。(^^;