2013年02月02日
リスペクト
久しぶりのブログ更新である。
円安以上にモチベーション下がりっぱなしだったが、気を取り直して再開だ。
今なら春節おめでとうかな。
今年は巳年だったんだ。
わずか2ヶ月だが世間でも身近でもいろいろおこる。
今日は義母の兄さんの葬儀だった。
義父が亡くなって数ヶ月後に、義父と同じように脳梗塞で倒れられた。
昨年見舞いに行ったが、私の顔をマジマジと見て、誰かと思い出そうとしていた。
その目は元気そうだったが、のどを詰まらせたか、誤嚥による肺炎でも起こされたのだろうか。
家族は次の病院を探さなければならない時期に来ていたようで、こう言っては不謹慎といわれるかもしれないが、家族にも本人にも良かったのかもしれない。
回復の希望のない老人を看ている方には理解してもらえると思う。
葬儀は親族だけの簡素なもので良かったが、ただひとつ残念なことは遺影が病気になる前のお元気なころのものでなかったこと。
私もさっそうとテニスウエアをまとったものをエンディングノートとともにそろそろ残したほうがよさそうだ。
90歳になる老人の死は、悲しみはあるにせよ仕方ないとも思える。
しかし中学生や高校生の死、それも自殺となると家族でなく
ともやり切れない。
大津のいじめ事件や、大阪の体罰事件と悲しいことが続く。
先日もスクールのメンバーと近くの中華料理店で新年会をしたが、この話題がでた。
女性メンバーになかに少々の体罰が容認するかのような発言があったし、クラブの男性も少年スポーツ団が強くなったのは体罰もあるからだとの話す人もいた。
かって若いときそのような経験があったのかもしれない。
今でも根性論がまかり通っているのだろうな。
某柔道の監督もナショナルチームのメンバーに選ばれるようなトップアスリートから告発されるまで、暴力とは思わなかったとの発言。
あーあー隠蔽することとかばうことは共通しているな。どこもかしこもトップ腐りきっているな。
私も指導者の資格を取るために実技と座学を学んだが、体罰を行えなんて聞いたことがない。
体罰でうまくなるなら指導者なんていなくてもよいし、私もそれで勝てるなら試合前連れ合いに平手かましてもらうわ。
それは冗談にしても、リスペクト(敬意とか尊重)がない。
小さい子供が社会ルールからはみ出そうとしてならいざしらず、スポーツでミス(エラー)して殴るなんて。
桑田真澄氏がいみじくもおっしゃていた。世界の王さんでも三振した。エラーを一度もしなかった人がいたらお目にかかりたいと。
たしかにあのフェデラー選手でもフレームショットがある。
リスペクトといえば身近にもこれを持ち合わせていない人がいた。
20数年間クラブでNO.1の位置にいたのに役員を一度もしなかった。
部長や会計は煩わしこともあるから、クラブ対抗戦の幹事ぐらいお願いしますと頭を下げて頼んだのだが絶対しないと断られた。
近年役員の担い手がいないので抽選で決めるとなったら、クラブを辞められた。
役員の負担は担当実務をばらまくことでずいぶん減らしたし、実は裏で根回しをして役員を決めていたのだが、抽選をするまでに辞められた。
ということは、クラブのメリットもわずかな仕事を上回ることはなかったということだろう。
試合のときの優勝者のスピーチを聞いたことがないのだろうか。
まず敗者への労わり、そして家族、コーチへの礼、審判、ボールパースンら競技委員そしてファンへの感謝。
ときにはユーモアを交えて、それがチャンピンスピーチなのだが。
誰かがクラブの運営をし、試合のセッテイングをし、そしてそれに参加できたからうまくなったのに、自分ひとりでうまくなったと思っているようだ。
あの人には死ぬまで、いや死んでも理解できないだろうな。
久しぶりなのに長々と書いてしまった。
葬儀の後、少し車を飛ばして盆梅展を観てきた。
圧巻は樹齢400年とかの「不老」と題した木。
人間は400年も生きないほうがよいな。
「こち吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」
忘れていませえん。待ち遠しいです。
円安以上にモチベーション下がりっぱなしだったが、気を取り直して再開だ。
今なら春節おめでとうかな。
今年は巳年だったんだ。
わずか2ヶ月だが世間でも身近でもいろいろおこる。
今日は義母の兄さんの葬儀だった。
義父が亡くなって数ヶ月後に、義父と同じように脳梗塞で倒れられた。
昨年見舞いに行ったが、私の顔をマジマジと見て、誰かと思い出そうとしていた。
その目は元気そうだったが、のどを詰まらせたか、誤嚥による肺炎でも起こされたのだろうか。
家族は次の病院を探さなければならない時期に来ていたようで、こう言っては不謹慎といわれるかもしれないが、家族にも本人にも良かったのかもしれない。
回復の希望のない老人を看ている方には理解してもらえると思う。
葬儀は親族だけの簡素なもので良かったが、ただひとつ残念なことは遺影が病気になる前のお元気なころのものでなかったこと。
私もさっそうとテニスウエアをまとったものをエンディングノートとともにそろそろ残したほうがよさそうだ。
90歳になる老人の死は、悲しみはあるにせよ仕方ないとも思える。
しかし中学生や高校生の死、それも自殺となると家族でなく
ともやり切れない。
大津のいじめ事件や、大阪の体罰事件と悲しいことが続く。
先日もスクールのメンバーと近くの中華料理店で新年会をしたが、この話題がでた。
女性メンバーになかに少々の体罰が容認するかのような発言があったし、クラブの男性も少年スポーツ団が強くなったのは体罰もあるからだとの話す人もいた。
かって若いときそのような経験があったのかもしれない。
今でも根性論がまかり通っているのだろうな。
某柔道の監督もナショナルチームのメンバーに選ばれるようなトップアスリートから告発されるまで、暴力とは思わなかったとの発言。
あーあー隠蔽することとかばうことは共通しているな。どこもかしこもトップ腐りきっているな。
私も指導者の資格を取るために実技と座学を学んだが、体罰を行えなんて聞いたことがない。
体罰でうまくなるなら指導者なんていなくてもよいし、私もそれで勝てるなら試合前連れ合いに平手かましてもらうわ。
それは冗談にしても、リスペクト(敬意とか尊重)がない。
小さい子供が社会ルールからはみ出そうとしてならいざしらず、スポーツでミス(エラー)して殴るなんて。
桑田真澄氏がいみじくもおっしゃていた。世界の王さんでも三振した。エラーを一度もしなかった人がいたらお目にかかりたいと。
たしかにあのフェデラー選手でもフレームショットがある。
リスペクトといえば身近にもこれを持ち合わせていない人がいた。
20数年間クラブでNO.1の位置にいたのに役員を一度もしなかった。
部長や会計は煩わしこともあるから、クラブ対抗戦の幹事ぐらいお願いしますと頭を下げて頼んだのだが絶対しないと断られた。
近年役員の担い手がいないので抽選で決めるとなったら、クラブを辞められた。
役員の負担は担当実務をばらまくことでずいぶん減らしたし、実は裏で根回しをして役員を決めていたのだが、抽選をするまでに辞められた。
ということは、クラブのメリットもわずかな仕事を上回ることはなかったということだろう。
試合のときの優勝者のスピーチを聞いたことがないのだろうか。
まず敗者への労わり、そして家族、コーチへの礼、審判、ボールパースンら競技委員そしてファンへの感謝。
ときにはユーモアを交えて、それがチャンピンスピーチなのだが。
誰かがクラブの運営をし、試合のセッテイングをし、そしてそれに参加できたからうまくなったのに、自分ひとりでうまくなったと思っているようだ。
あの人には死ぬまで、いや死んでも理解できないだろうな。
久しぶりなのに長々と書いてしまった。
葬儀の後、少し車を飛ばして盆梅展を観てきた。
圧巻は樹齢400年とかの「不老」と題した木。
人間は400年も生きないほうがよいな。
「こち吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春をわするな」
忘れていませえん。待ち遠しいです。