2011年03月21日
老々介護
老人とは何歳からかな。
65歳としてもニアリー老人だ。
寝たきりとなった義父を置いてくれていた病院から退去通告を受けた。
入院した時点では最後まで見てくれるような口ぶりだったが、ここへきて方針が変ったのか。
引き取ってくれる病院も見つからず自宅で看るしかない。
狭い我が家なので1階にある次男の部屋に入れ、次男には2階の長男の部屋に引っ越してもらった。
たまに帰る長男のため物置代わりとなっていた書斎を整理するしかない。
使わないものがたくさん出てくる。
たぶんどこの家庭でもそうだろうな。
埋蔵金ぐらいでてこないかと思ったが、出て来たのは子供のおもちゃのコインだけだった。
溜まるのはゴミだけで金は溜まらないな。
子供が小さい時の二段ベッドをバラして捨てたが、その奥から若い時分に画いていた油絵の画材がでてきた。
今はもうないナイロン工場の臭突(匂いをだす煙突)を描いたものもあった。
「戦後強くなったのは女と靴下」と言われたぐらいナイロン繊維華やかりし頃の旧い工場も時代とともに消え去った。
そしてもうひとつ貴重な”遺跡”もでてきた。
事業所内の会報みたいなもので表紙を私が画いたときのものだ。
27歳の時は長男が生まれて間もないころだ。
33年前か。懐かしい。
いや懐かしいといっている場合ではないかもしれない。
自宅介護は大変と聞く。
そのうえ半病人が重病人を看護するのだから。
でもこの歳ですべてをなくした人から見たら家があるだけましか。
65歳としてもニアリー老人だ。
寝たきりとなった義父を置いてくれていた病院から退去通告を受けた。
入院した時点では最後まで見てくれるような口ぶりだったが、ここへきて方針が変ったのか。
引き取ってくれる病院も見つからず自宅で看るしかない。
狭い我が家なので1階にある次男の部屋に入れ、次男には2階の長男の部屋に引っ越してもらった。
たまに帰る長男のため物置代わりとなっていた書斎を整理するしかない。
使わないものがたくさん出てくる。
たぶんどこの家庭でもそうだろうな。
埋蔵金ぐらいでてこないかと思ったが、出て来たのは子供のおもちゃのコインだけだった。
溜まるのはゴミだけで金は溜まらないな。
子供が小さい時の二段ベッドをバラして捨てたが、その奥から若い時分に画いていた油絵の画材がでてきた。
今はもうないナイロン工場の臭突(匂いをだす煙突)を描いたものもあった。
「戦後強くなったのは女と靴下」と言われたぐらいナイロン繊維華やかりし頃の旧い工場も時代とともに消え去った。
そしてもうひとつ貴重な”遺跡”もでてきた。
事業所内の会報みたいなもので表紙を私が画いたときのものだ。
27歳の時は長男が生まれて間もないころだ。
33年前か。懐かしい。
いや懐かしいといっている場合ではないかもしれない。
自宅介護は大変と聞く。
そのうえ半病人が重病人を看護するのだから。
でもこの歳ですべてをなくした人から見たら家があるだけましか。