2010年01月07日
おもひでぽろぽろ
正月に中学校の同窓会が郷里であった。
5クラス総勢200人ぐらいの仲間だったが40数名が集った。
かねてから還暦を迎える歳になったら集ろうとの約束であった。
皆同じように還暦を迎えるようになったのだろう。
(当たり前だ)
パンドラさんもおっしゃっていた。「心配せんでもみんなひとつづつ歳をとるよ」
「ベンジャミン・バトン」のように若返っていきたいが、自分だけ青年になっていっても、周りの愛すべき人間が老人になっていく人生は悲しい。
同窓会の会場へ行くために、久しぶりに小学校、中学校への道を歩いてみた。
村の入り口にインド料理屋ができていた。なんなんだ、こんな田舎に。
通学路は伊勢に向う旧参宮路なのでとても狭かった。
しかも当時は舗装のない砂利道。
中学、高校と雨の日に傘をさして自転車通学したが、バスも通るなかよくぞ平気だったものである。
今ほど車はなかったと思うが。
国旗を掲揚している家は同級生の家だったようである。
同窓会で同じ道を歩いたあこがれの人が教えてくれた。
歩いて約25分くらいか。当時なら40分くらいかかっていたと思う。
小学校は大きくは変わっていなかった。
校庭の銀杏の木もたぶん位置からして当時の木だろう。
2001年が創立100周年だったようだ。そんなに旧い学校だったんだ。
いや入学してから50年以上たっているのだからそれも当然か。
さらに5分歩いて中学校。
門が閉じていて入れない。
いまどき学校内に進入して刃物を振り回す人間も現れたことだしこういうことになるのだろう。
裏に廻ったら校庭が工事中だった。
講堂がなくなって立派な体育館が見えた。
中学校では不良をしていたので良い思い出がないのが寂しい。
早くも咲いている梅の花を鑑賞しながら44年前を思い出し感傷にふけるひとときであった。
そんな目立たない私を覚えてくれているか、同窓会会場に着いたときは歩いて1時間後だった。
あこがれのあの人には会えたのでしょうか。
-続く-
5クラス総勢200人ぐらいの仲間だったが40数名が集った。
かねてから還暦を迎える歳になったら集ろうとの約束であった。
皆同じように還暦を迎えるようになったのだろう。
(当たり前だ)
パンドラさんもおっしゃっていた。「心配せんでもみんなひとつづつ歳をとるよ」
「ベンジャミン・バトン」のように若返っていきたいが、自分だけ青年になっていっても、周りの愛すべき人間が老人になっていく人生は悲しい。
同窓会の会場へ行くために、久しぶりに小学校、中学校への道を歩いてみた。
村の入り口にインド料理屋ができていた。なんなんだ、こんな田舎に。
通学路は伊勢に向う旧参宮路なのでとても狭かった。
しかも当時は舗装のない砂利道。
中学、高校と雨の日に傘をさして自転車通学したが、バスも通るなかよくぞ平気だったものである。
今ほど車はなかったと思うが。
国旗を掲揚している家は同級生の家だったようである。
同窓会で同じ道を歩いたあこがれの人が教えてくれた。
歩いて約25分くらいか。当時なら40分くらいかかっていたと思う。
小学校は大きくは変わっていなかった。
校庭の銀杏の木もたぶん位置からして当時の木だろう。
2001年が創立100周年だったようだ。そんなに旧い学校だったんだ。
いや入学してから50年以上たっているのだからそれも当然か。
さらに5分歩いて中学校。
門が閉じていて入れない。
いまどき学校内に進入して刃物を振り回す人間も現れたことだしこういうことになるのだろう。
裏に廻ったら校庭が工事中だった。
講堂がなくなって立派な体育館が見えた。
中学校では不良をしていたので良い思い出がないのが寂しい。
早くも咲いている梅の花を鑑賞しながら44年前を思い出し感傷にふけるひとときであった。
そんな目立たない私を覚えてくれているか、同窓会会場に着いたときは歩いて1時間後だった。
あこがれのあの人には会えたのでしょうか。
-続く-